「ポンプとシステム制御」
高見 勲 (たかみ いさお) 南山大学 数理情報学部 数理科学科 教授 |
朝から降っていた雨は、午後から激しくなり、夕方になっても一向にその勢いは衰えることなく降り続く。職場では帰宅指示が出て、車で帰る途中の車道は、地表10センチほど水が溢れ、至る所に動けなくなった車が放置されている。車の床に下から水があたる音がする。強引に車を進めると、その先は水深がさらに深くなる。引き返し、別の道を探す。これを繰り返し、普段であれば30分のところを6時間も掛ってやっと家の近くまで辿り着くと、あたりは既に水没している。車を降りて、胸までつかって道と思しきところを溝やマンホールに足を取られないように一歩一歩確かめながらゆっくり進む。着いてみれば、我が家も床上浸水である。その後も雨足は衰えることなく降り続く。2階に避難する。階下を見ていると、1時間に1ステップずつ階段を水が登ってくる。時々1階でガタンと聞こえるのは、冷蔵庫やタンスが水に浮いて転倒する音である。避難しようにも、もう家の周りは川と化し、水位は背丈よりも高く、しかも濁流となって垣根や門扉を洗い、外にも出られない。雨はトタン屋根に当たって、弾けるような音を絶え間なく鳴らす。幾分小降りになったかと思うと、また今までよりも激しく降ってくる。風はないが、その分、雨の音が一層耳に響く。いつもはほとんど水がない近くの小さな川だが、今は上流から押し流されてきた水が行き場を失い、むしろ川の方が周りよりも盛り上がり、溢れて左右に流れ落ち、その水がこちらに流れてくる。いつまでこの調子なのか、いずれ2階にも水が上がってくるのだろうかと不安になる。電話も不通となり、隣とも連絡が取れない。心細い限りだ。結局、人間は自然の前には小さな存在であることを実感させられる。これは私が体験した平成12年9月11日の東海豪雨である。名古屋市では1日の降雨量がそれまでの最高記録の2倍で、まさに人知を超えた豪雨であった。東海地方では死傷者125名、全半壊約200棟、床上床下浸水が約7万棟という被害が発生し、最大時約22万世帯に避難勧告、指示が出され、伊勢湾台風以来の大災害となった。排水ポンプ機場はフル稼働し、排水ポンプ車が活躍した。
この時に感じたことは、災害時の情報の重要性である。テレビで災害状況を中継したニュースを流していた。我が家の地区に対して避難勧告が出たのを知ったのも、テレビのニュースであった。しかし、その時には避難しようにも外に出られない状況であった。後で知って驚いたことは、家の近くを流れている一級河川の庄内川の水位がもう少しでオーバーフローするところであったことだ。もしそうなっていれば床上浸水では済まなかったであろう。情報もテレビで提供されたような内容では、粗過ぎて不十分である。同じ地域でも浸水を免れたところがある。何町何丁目何番地といった今住んでいる箇所に限定した情報が必要である。雨はいつ止むのか、水は増えるのか、いつ避難すればよいのか、どこに避難すればよいのか、どうやって避難すればよいのか、救助はどうしているのか、どうしたら救助を受けられるのか、支川、本川の水位の動向と我が地域への影響、近くの排水ポンプ機場はまともに動いているのか、など住民の状況判断と意思決定に必要な情報を正確にしかもタイミングよく提供することが望まれる。当時は携帯電話を使用しておらず、固定電話が地域一帯使用不可になり連絡に苦労した。この教訓からその後携帯電話を使用している。ポータブルな情報端末と情報網の組み合わせで、必要な情報を、必要な時に、容易に入手できるシステムの普及が課題の一つである。また集めた情報を分析し、その結果を分かり易く表示し、次の行動を明示する被災者支援システムが今後要求されるであろう。ここで、避難勧告などを提供する警報システムでの欠報と誤報に留意しなくてはならない。前者は警報を出す必要のあるときに警報を出さない故障であり、後者は警報を出す必要がないときに誤って出してしまう故障である。欠報は人命にかかわり重大であるが、誤報も無用なストレスを掛けることになるし、度重なればイソップ童話のオオカミと少年のように、警報そのものがいざという時に無視されてしまう。いずれも引き起こさず正しい情報を提供するシステムが必要である。
次に感じたことは、治水は行政の根幹をなす事業であり、転ばぬ先の杖ではないが、災害が発生してからでは遅く、未然に災害を防止することが要求されるということである。このため粛々と計画し、実行し、何もなくて当たり前で、目立たず、しかし長い目で見たときにそのありがたさが分かることが最善である。
私の研究分野はシステム制御である。治水は制御の原点であり、古代インダス文明、中国文明の時代から川の流れを制御することに力を注いだ。排水ポンプ機場の制御には、監視・管理の機能が重要な位置を占める。排水ポンプ機場は河川流域の人命と財産を守るためのもので、運転員には高いストレスが掛かる。このストレスを軽減し、運転の信頼性を確保するために、流域の状況と設備の状態を監視し、確実に判断と操作ができるよう、運転員に対し整理した情報と操作手順を提供する運転支援システムがある。このシステムでは、使い易さが要求される。そのため河川、治水設備、制御システム及び運転員の関係を分析し、人間の思考過程に沿った制御システムを設計することが重要であり、人間をループの一要素としたシステム設計が必要で、人間が中心という設計思想に立たなくてはならない。
制御の楽しさは、他の学問に比べ比較的容易に自分の考えたことが実現でき、その成否が分かることである。その瞬間は緊張する。喉が渇く。手に汗を握る。心臓の鼓動が聞こえてくる。成功の瞬間の達成感はなにものにも代えられない。これを一度味わってしまうと忘れられず病み付きになってしまう。しかし残念ながら私の経験では成功よりも圧倒的に失敗の回数が多い。それは制御の対象が自然界であり、人知を超越した現象を示すことがしばしばあるからである。過去に何度も自分の拙さと、自然界の偉大さを思い知らされ、その都度「お前は何もかも知っているわけではない。謙虚になれ。」と教えられた。制御の基本であるフィードバック制御は、自分が行った行為の結果が期待したものと一致していなければその違いを反省して行いを改め、再度その結果を見て、また反省を繰り返す。よって制御を学んでいれば謙虚な人間になれるはずだが、未だ傲慢なところがある私は学び方が不十分なのであろうか。