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エッセー

歴史にない史実に学ぶ
―19世紀から21世紀へのメッセージ―

 

上林 好之(かみばやし よしゆき)

 東京大学生産技術研究所 顧問研究員 工学博士
㈱拓和 顧問
 「やさしい科学で文明を語るサロン」上林研究室開設


 「デ・レイケ?知らないネ。デレーケなら知っているヨ。オランダ人お雇い4等工師。明治時代砂防とケレップ水制を日本人に教えた人。木曽三川を分流した人。日本の川を滝と言った人。日本人妻もいたネ。」

 

 39年前、淀川でデレーケの名前に出会い、行政官・技術官として彼の業績に驚愕し続けた私も、最近まで彼の実体はわからなかった。

 

 明治6年一緒に来日したエッセルは1等工師、デレーケは4等工師。2年3ヶ月後、エッセルの名は淀川から消え、デレーケが淀川改修と砂防に素晴らしい業績を残した。4等工師はどのように仕事をしたのか。淀川に残された多数の公文書では分からない。気が付くと、デレーケと同じ立場の淀川工事事務所長、中部地方建設局河川部長だ。縁は深くなった。

 

 平成2年1月、オランダのハーグにエッセルの孫3人を訪ね、来日したエッセルやデレーケに係る資料はないかと聞いた。彼らはエッセルではなくエッシャーだった。やがてカナダの孫から来るようにとの知らせと共にデレーケの約60通の手紙を同封してくれた。

 

 英会話のできないチビ夫婦の10年に及ぶ海外珍道中の始まりだ。カナダ東岸ノバスコシア州の州都のハリファックス空港に同姓同名の孫ジョージさんが来てくれた。彼はデルフト工科大学卒の航空技術者で年金生活を楽しんでいた。ミスターエッシャーと呼ぶと、ジョージと呼べと言う。奥方は美人のコーリー、私達もヨッシー、アケミだ。貴族出身なのに一面識もない極東の有色人種を自宅に三泊させ、ヨット・セーリング、観光、手作りのご馳走など大変なもてなしに、築堤職人出身のデレーケと親しくしたエッシャーの家柄を見た。

 

 手書きで古い文体の手紙を翻訳してくれる人はない。お金もない。そうだ! 自分で読めば彼らの真意が分かる! 9月から12月31日までオランダ語文法を徹底的に独学した。56才だった。平成3年元旦、お屠蘇もそこそこに手紙を読み始めた。蘭和辞典はない。蘭英、蘭蘭、英和辞典との格闘だ。感動で身体の震えが止まらない。素晴らしい友情だ。その後、ハーグの孫ハンスさん宅で多数の資料を発見した。デレーケへの返信の要点、両家の学歴・職業・家系・家族構成・結婚の経緯・宗教・友人関係等が詳しく書かれている。もう、酒・新聞・TV・ゴルフなどやってられない。毎夜3時まで、土日は朝から夜の3時5時まで8年間、勤務の合間も研究だ。「日本の川を甦らせた技師デ・レイケ」を草思社から出版した。

 

 江戸時代の通訳家出身でデレーケ専任通訳楢林はJohannis de Rijkeをヨ、ハ、デ、レイケと訳している。ヨハニス・レイケがオランダ人に伝わりやすい。デ・レイケは明治24年10月勅任官(内務省事務次官相当)扱いとなった。日本人土木技術者トップの古市公威が土木技監に就任する3年前に先例をつくった「超高官」だ。泉州に風車排水を推奨、わが国初の排水ポンプ性能比較、明治18年の淀川大水害の警告、全国の治水・砂防、木曽三川の分離、新淀川開削と新大阪海港築造等を科学的視点から立案した。常願寺川を滝と言ったのは富山県職員だ。職人的技師(工師)ではない。ハイレベルのコンサルティング・エンジニアだ。敬虔なカルビン派一家で、晩年人々からキリストを洗礼した聖者ヨハネと彼の名ヨハニスに因んで「洗礼者ヨハネ」と呼ばれていた。一緒に来日した愛妻は難産がもとで亡くなり、オランダで再婚し日本に来た後妻はピアノとシューベルトの歌で夫を寛がせた良妻賢母だ。日本人妻などない。帰国後、上海の黄浦江改修の技師長とした世界的名声をあげ、貴族に列せられた。こうしたデ・レイケの人柄や業績をご存知ですか?


 研究を進めると、噂話や和訳公文書を論拠に白分の目で彼らの事実を確かめないまま書かれた論文には、思い込みや外国人への井の中の蛙的偏見が多い。

 

 明治時代日本の近代化に尽力した外国の方々に無礼を詫びたい。

 

 自然の力は巨大で常に大きく変化している。災害は人間がいるから起る。自然と災害のメカニズムをよく理解し、自然の力を利用すれば、持続的な災害防止策を講じることはできる、とデ・レイケは考えた。彼は「木曽川概説」で「爰(ココ)ニ施スヘキ手段アルハ實ニ幸ト言フヘシ(学術ニ拠ラスンハ為シ難タシ)と、次のような考え方を書いている。

 

 • 流域に降った雨は、その流域内の河川で流し、決して他流城へ分流しない。
 • 上流の山地は、自然現象や人間活動で崩壊し、土砂が流下する。植樹するなど、管理をよ

     くし土砂の流下を防ぐ。
 • 洪水は一挙に海へ流す。河幅が狭く、深く、直線的な河道をつくる。
 • 平常時の水は、河道の中に適切な水路幅、水深と流速のある蛇行した低水路をつくり、そ 

  の中をゆっくりと流す。
 • 川の中には工作物をできるだけ造らない。造っても洪水に逆らわせない。
 • 堤防や水制などの材料は、土砂、石と小さな木々の枝を束ねた粗朶とする。

 

 エッシャーが設計、デ・レイケが施工を担当した九頭竜川河口右岸の防波堤は基礎が数層の粗朶沈床で造られている。現在防波堤は延長されているが、今も彼らの造ったものも立派にその役目を果たしている。その区間だけ汽水域となり魚の宝庫だ。

 

 岐阜から河口までの長良川はデ・レイケが計画・設計した人工河川だが、自然保護論者はそれを「ダムのないわが国唯一の白然河川」と言う。

 

 計画.設計に柔軟性(フレキシビリティ)が備わっているから、時代と利用目的が変わっても後世の人達が容易に改造し、少ない廃材で自然環境を保全できる。資材の乏しい小国オランダが、ヨーロッパの激動する政治・経済の中で長年培ってきた普遍性(ユニヴァーサリティ)のある古典的計画・設計手法だ。

 

 21世紀は、時代とともに変るもの、変らないものの組合せを地球の科学(ジオ・サイエンス)で一人一人が考える時代である。


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